国立新美術館 安藤忠雄展 挑戦

 

 僕自身はキリスト教徒ではないものの、不思議と幼稚園からの友達のお父さんが神父さんだった関係で(そのお友達と遊ぶっていう流れで)近所にあった教会の日曜学校に顔を出したり、その後入った中高も礼拝の時間があるキリスト教の学校でした。もちろん音楽の時間は賛美歌を歌うので、今でもキリスト教の結婚式では歌詞も見ず、しかも当時の自分のパート(バス)で歌う事ができますし(これが結構引かれる)、その後移住したミラノにおいては、ゴシック建築の最高峰と言われるドゥオモ大聖堂があり、ダ・ヴィンチの最後の晩餐を観る事ができるのもミラノと言う事で、比較的キリスト教が身近にあったと言えるでしょう。

 特に押しつけられた事もないので信仰そのものには繋がりませんでしたが、今でも好きな賛美歌や聖書のセンテンスもありますし、そこで得た知識や感情は、特に欧米のアートやファッションに建築、そして人間性を理解する上、すなわち僕の人生の大半を占める分野においてとても役立っているから不思議なものです。

 ところで、ひとくちにキリスト教と言っても古今東西ユダヤ教から端を発して以来、カトリックプロテスタント教会など様々な教派や教えが存在しますが、聖書と言う共通の教え以外で一つだけ共通している事と言えば、教会の存在だと思うのです。

 前述したゴシック建築はもちろん、ロマネスクやルネサンスバロック等々、時代や場所によって様々なアプローチは違えど時の王であったり権力者が財を投じて造り上げた内部には、教派によって違いはあれど、様々な彫刻や聖壇画やステンドグラスと言った装飾によって、人々の信仰心を駆り立て、救いを与えてきた場所だからこそ、今なお人々を魅了し、教徒でなくとも世界中で観光客が訪れるのでしょう。

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 そんな事を思ったのも、国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展 挑戦」に足を運んだから。そこには目玉として彼の代表作の一つ「光の教会」が実物大のインスタレーションとして会場外に建てられていて、とにかくそのスケールの大きさには驚くばかりでした。ただ一番心を打たれたのは、写真にもあるようにみんなが一様にコンクリートの隙間で構成された十字架を見つめていると言うところ。もちろんこれはあくまでも彼の作品として展示されているので、そこにはコンクリートの肌合いや建築としての意味や価値、そしてデザイン性(特に十字架部分のガラスがない事)を各々が楽しんでいるのでしょう。

 でも一つの光を求めて、人々がそこに向かう姿は本来の教会の持つ意味であり、歴史とは違った方向性で、こんなにもシンプルな形で成し遂げた凄さに、ただただ感嘆するばかり。元々彼の作る個人邸宅や美術館は大好きでしたし、様々な文献で見聞きしていたのですが、これを東京にいながら実物大で観られた事はとても衝撃的でした。

 何かで読んだのですが、実際にこれを建てるにあたって都に確認をしたら、美術館自体の増設工事になるそうで急遽申請を行った話しや、未だに本人は十字架部分のガラスを取り外そうと画策しているも神父様がそれを阻止している話しなど、楽しい話しは尽きないようですが、まだまだ会期が始まったばかりなので、12月の終了までには異なる天気や時間の下、あと2回くらいは訪れてみたいものです。

 昨日は若者のアドバイスに従って15時前に入館したのですが、これからの季節は陽が落ちるのも早くなってきますので、光の入り込みを楽しみにしているのであれば、入館時間には注意した方がいいかもしれませんね。次こそはゆっくり個人宅のセクションを入念にチェックしたいと思います...って、結構芸術の秋を満喫していますね、自分。そして、ちょっとまた家を建ててみたくなりました(笑)。

 

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